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横浜地方裁判所 昭和36年(わ)844号 判決 1961年11月27日

被告人 岡出秀男

昭三・九・二九生 建築請負業

金沢里成

昭五・一〇・二〇生 大工

主文

被告人岡出を懲役二年に、同金沢を懲役一年六月に処する。

被告人らに対し未決勾留日数中各十五日を右本刑に算入する。

訴訟費用は全部被告人らの連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人岡出秀男は当時横浜市南区上大岡町四百二十五番地(小柳荘)に居住し、木造家屋建築請負業等を営んでいたもの、被告人金沢里成は昭和三十五年七、八月頃より、太田喜基(当時三十年)は昭和三十六年四月二十八日よりいずれも右被告人岡出方の大工として稼働していたものであるが、昭和三十六年五月三日午後七時頃より同十一時頃迄の間にわたり、被告人岡出において、被告人金沢及び右太田を招き二級清酒三升等を提供して自宅階下六畳の間に酒席を設け、被告人らは各約七、八合を、右太田は約一升をそれぞれ飲酒したが、その際右太田は酩酊の度甚しく、被告人岡出より仕事上の注意を受けても素直に従わず被告人金沢にからんだり、また既に二万一千五百円の前借を受けているにもかかわらず、更に被告人岡出に対し一万円を貸与すべきことを執拗に涕声哀訴したりしつつ、ついにいわゆる泥酔状態となり、肉体的精神的健康を欠き、扶助を要すべき病者となつたため、同人の帰宅に際し、被告人岡出は被告人金沢に右太田と同行するよう依頼し、被告人金沢は右依頼を受けなお右太田自身からも同行を求められて、これを承諾し、右太田の生命身体に対する危険を避けるため前記岡出方から京浜急行電鉄上大岡駅に向い約百六十米程の路上迄右太田を保護誘導して来たところ、同所において右太田は帰宅を拒否するような言動をなし被告人金沢をして困惑せしめていたが、その際右両名の後に自宅を出て前記上大岡駅附近のバー「折鶴」に飲酒に赴かんとして来た被告人岡出がこれに追着いたので、被告人らは互に助け合つて右太田を前記上大岡駅迄連行すべく、同人の右腕を被告人金沢が、その左腕を被告人岡出がそれぞれとり左右から同人を抱きかかえ既に歩行をなし得ざる状態にある同人を保護誘導しつつ前同日午後十一時二十分頃、前同町九百五十二番地前記電鉄上大岡第一踏切にさしかかつたところ、右太田は被告人らに対し謝意を表するどころか、かえつて「放つておいてくれ」「子供じやあるまいし、お前達に連れて行かれなくても良い」等の旨の言葉を浴せ、ついに同踏切地内下り線上を通過するの際被告人らに抱きかかえられていた両腕をはずすが如くにして同所に俯せに倒れてしまつたため、被告人岡出は右太田の前記言動に憤慨し、かつはすみやかに前記バー「折鶴」に赴かんとするの余り、また被告人金沢は右太田の前記の言動に憤慨し、ここにおいて共謀の上、右太田の生命身体の安全を保護すべき義務あるにもかかわらず、なお電車の運行されている時間であるから右太田を同所に放置するときは同人の生命身体にとつて危険であることを認識しながらあえてそのまま同所より立去り、以て遺棄し、因つて右太田をしてその後まもなく進行して来た前同日午後十一時二十一分上大岡駅発下り浦賀行急行電車に接触せしめ、翌四日午前一時四十五分頃、横浜市南区上大岡町三百三番地朝倉病院において脳挫創及び蜘蛛膜下出血により死亡するに至らしめたものである。

(証拠の標目)(略)

(被告人らの保護責任についての当裁判所の見解)

被告人らの弁護人は被告人らは被害者である太田喜基に対し刑法第二百十八条第一項に規定する保護責任ありや否や疑問がある旨主張する。しかしながら当裁判所は次の如き見解により被告人らは右太田に対し前記保護責任があるものと認める。

即ち刑法第二百十八条第一項に規定する保護責任は単に法令に基くもののみならず契約に因ると、事務管理に因ると、はた又社会一般通念に因るとを問わざるものと解すべきところ、

被告人岡出については、同被告人は前示の如くその被傭者である被告人金沢並びに右太田を自宅六畳の間に招き、二級清酒三升を提供して酒席を設け、その際右太田は内約一升を飲酒し、その結果既に同所において、いわゆる泥酔状態となり肉体的精神的健康を欠き扶助を要すべき病者となつたものであるが、かかる場合においては社会一般通念上被告人岡出において扶助を要せざるにいたる程度に肉体的精神的健康を回復する迄右太田をとどめておく等その生命身体に対する危険を排除し、又はこれを避けその安全を確保するに相当と認められる手段方法を講じ保護にあたるべきであり、しかも同被告人は被告人金沢に右太田と同行すべきことを依頼したものの前記の如く途中よりこれに追着き自らも又被告人金沢と共に左右より同人を抱きかかえ同行し、もつて前記踏切にいたる迄現実に右太田の保護にあたつていたものであるから、これを要せざるにいたる迄継続遂行しもつて扶助し、保護にあたるべき義務ありというべく、従つて刑法第二百十八第一項に規定する病者を保護すべき責任ある者というべきであり、

被告人金沢は後記の如く通常の判断・行動をなし得ざる状態ではなかつたものであるところ、前記の如くその雇主である被告人岡出及び同僚である右太田自身より同人との同行を求められ、これを承諾し右太田と同行したものであるが、扶助を要すべき病者との同行を承諾し、これと同行したものは少くとも社会一般通念上暗黙にこれが保護をなすべきことを承諾したものというべきであるから、右の如き場合被告人金沢は右太田を保護すべき義務があるものというべきであり、仮りにしからずとするも同被告人は前記の如く被告人岡出方より右太田と同行して前記踏切迄現実に右太田の保護の任にあたつていたものであるから事務管理の法理に照してもこれを要せざるにいたる迄継続遂行し、もつて扶助し保護にあたるべき義務があるものというべく、そしてこの保護責任は前記の如く前示理由により右太田に対し保護責任を負担する被告人岡出が途中よりこれに加わり、互に助け合つて右太田を左右より抱きかかえ保護誘導したものであるとはいえ、単にその事実によつてはその消長をきたすものではないからいずれによるも刑法第二百十八条第一項に規定する病者を保護すべき責任ある者というべきである。

(弁護人の緊急避難の主張に対する判断)

被告人らの弁護人は被告人らの本件所為は、当時被告人らは飲酒酩酊し酔眼朦朧としていたものであつて、前記踏切において前記太田喜基が倒れた際、電車の来る音がし、かつその前照灯により照し出されたため、驚愕の末自己の生命身体の安全を守るため逃げたもので、しかも自己が逃げるのが精一杯であつた実状下になされたものであるから緊急避難行為というべきであると主張する。よつて判断するに、

本件当時被告人らが飲酒していた事実は前記認定の通りであるが、被告人岡出、同金沢の各検察官並びに司法警察員に対する各供述調書、岡出アイ子、西山健一郎、金沢ナツ子の各検察官並びに司法警察員に対する各供述調書岩田和子の司法警察員に対する供述調書によつて認められる被告人らの日頃の酒量、当時の言語、行動よりみて被告人らが酩酊の末酔眼朦朧として通常の判断・行動をなし得ざる状態ではなかつたものであることが認められる。

しかして、被告人らの当公判廷における供述、当裁判所の検証調書中被告人両名の指示説明部分及び被告人岡出の司法警察員に対する昭和三十六年五月九日付、同月十三日付供述調書のうちには、前記太田が倒れた際、電車の接近する音を聞き、その前照灯により照し出されて、電車の接近せることを認知した旨を述べている部分があり、証人岡出アイ子の当公判廷における供述及び司法警察員に対する昭和三十六年五月八日付供述調書にも右に添う如き供述があるけれども、しかしながら被告人岡出は司法警察員に対する昭和三十六年五月十五日付供述調書において、前記部分は虚偽の事実を申立てたものであり、前記踏切にさしかかつた際は無論、被害者である右太田が倒れた際も、さらに同被告人が前記踏切を渡りきる迄の間前記踏切の警報機の吹鳴音を聞かず、又その他によるも電車の接近を認識していなかつた旨を述べているものであり、検察官に対する昭和三十六年五月十九日付供述調書においても又右と同旨の供述をなしているものである。又被告人金沢は捜査段階においては前記の如き主張はせず、司法警察員に対する昭和三十六年五月十四日付供述調書において前記踏切にさしかかつた際その左右を眺め電車が進行して来ていないことを確認してから渡り始めた旨、並びにすくなくとも前記踏切を渡りきる迄の間電車の接近を知らなかつた旨及び当然右太田を前記踏切外に連行し得た余裕があつた旨を述べ、又検察官に対する昭和三十六年五月十九日付、同月二十六日付供述調書においても右と同旨の供述をなしているものである。更に岡出アイ子の前記各供述は前記太田が倒れた際において同女がいた位置等並びに他の証拠からみてこれを措信し得ないものである。その他前記主張を認めるに足る証拠はなく、かえつて司法警察員西山延太郎作成の「警報機の吹鳴調査について」と題する書面、同人作成の昭和三十六年五月十五日付実況見分調書、司法警察員和田勲作成の「上大岡駅下り線ホームにおける電車発車合図から発車迄の時間調査について」と題する書面、司法警察員に対する佐藤徳蔵の供述調書によれば、前記踏切の警報機は下り線の場合上大岡駅における発車合図と共に吹鳴を始めるものであり、午後十一時頃にあつては、その吹嗚を開始してより電車が下り線ホーム浦賀寄り先端より約百十五米五十糎の距離にある前記踏切にさしかかる迄は発車に要する時間も含め三十四秒乃至四十一秒余を要するものであることが認められるものであるところ、証人西山健一郎に対する尋問調書並びに同人の検察官並びに司法警察員に対する各供述調書及び当裁判所の検証調書司法警察員西山延太郎作成の昭和三十六年五月十五日付実況見分調書によれば、被告人らが横断距離六米三十糎の前記踏切にさしかかり、手前下り線路上に右太田が倒れた後、これを放置し、上り線路を越え前記踏切を通過し終る迄には前記警報機は吹鳴を開始しておらず、被告人らが前記踏切を通過した後、同所で、反対方向より前記踏切に接近し、右事実を目撃していた証人西山より被告人岡出が問責せられ応答し終る頃より、ようやく吹鳴を開始し、その後前記の如き時間を経過し電車が同踏切にさしかかつたものであることが認められるので、弁護人の前記主張は無論、誤想(緊急)避難行為をも認めることができないから、その理由がないものというべきである。

(法令の適用)

被告人らの前判示所為はいずれも刑法第二百十八条第一項、第二百十九条、第六十条に該当するので、同法第十条に従い右第二百十八条第一項の罪と、同法第二百五条第一項の罪との刑を比較し、重い後者の罪の刑に従い各処断すべきところ、被告人岡出についてはその所定刑期範囲内で同被告人を懲役二年に処し、被告人金沢については犯情憫諒す可きものがあるので刑法第六十六条、第七十一条、第六十八条第三号に従い酌量減軽をなした刑期範囲内で同被告人を懲役一年六月に処することとし、刑法第二十一条を適用し、被告人両名に対し未決勾留日数中各十五日を右本刑に算入することとし、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文、第百八十二条に従い全部被告人らの連帯負担とする。

よつて主文の通り判決する。

(裁判官 赤穂三郎 阿部哲太郎 篠原昭雄)

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